現役会社員で、工場に出向き生産管理業務改革の支援を行うのが本業です。
一生この仕事をしたいと思えるくらいやりがいがある仕事で、会社だけでなく世の中に価値提供したいと思い、ブログやメルマガ、出版等を行っています。
生産管理や工場運営に関する困りごとがあれば、ご相談ください。

鉄鋼会社勤務の現役会社員。自動車部品会社で生産管理として7年間従事。繁忙期は月間150時間残業するような激務環境を、エクセル業務の効率化で計画工数10分の1以下に改善し乗り超える。転職後は全社的なSCM改革を行うコーポレート部門にて、生産スケジューラー導入や工場改革プロジェクトに参画し、部門内トップの評価を得る。業務改革事例の社内外発表多数。会社員と並行しながら、実務経験で得た生産管理業務改革のノウハウをコンテンツ化し、ブログ、メルマガ、出版等で、業務改革を進めたい生産管理担当者や工場長、経営者向けにノウハウを提供中。

配属されて3日で辞めたいと思った生産管理

今でこそ”生産管理業務改善”で自分を売っていますが、就職活動始めるまで生産管理という仕事さえ知りませんでした。

自分の就活時期は、リーマンショック後の就職氷河期。

80社程にエントリーシート出し50回程面接して、何とか1社内定取れたのが、自分のファーストキャリアとなる、売上1兆円ほどの自動車部品会社での生産管理でした。

人間関係で生産が回っているような、泥臭い仕事ですし、とにかく忙しい。

「人が休んだ」「設備が壊れた」「材料欠品した」など毎日がお祭りで、それに対してリスケジュールして、修正後生産計画を展開したらもう夕方・・・。多いと一日に50回は電話が来る携帯(PHS)は、夕方にはいつもバッテリーが切れそうでした。現場から上がってくる出荷実績確認など定常業務は、トラブルが落ち着く17時過ぎてからやるため、残業時間が150時間超えるのが当たり前でした。

さらに当時は暗黙のルールがあり、20時間までしか残業代付けられないというブラック企業っぷり・・。
(入社して数年後、労基署入り是正されました)

当時イメージしていた大企業の”ゆるふわ生活”は叶わず、ただただ忙しい日々が続きました。

当時は成果を出す喜び・楽しさが分からなかったので、会社とは線を引き、ブログで稼ぐことに注力していきます。笑

早く帰って家でブログ書いて収益化するために、Excelスキルを学び、様々な業務を半自動化し効率化していきました。

そうした忙しい日々だったものの、毎日のお祭り騒ぎも慣れれば刺激があって楽しいですし、転職間際では問題を先手管理していかにミスなく工場運営できるかが、面白くなってきている時期でもありました。
(転職間際の頃でようやくミス無くなってきたので、前会社には多大な負担お掛けしました・・。この場でお礼申し上げます。)

新しいチャレンジをしたいと思い転職

7年間という比較的短期間で、新製品立ち上げ、量産、アフターサービス、製造廃止まで一通り経験させて貰えたものの、何となく新鮮さが無くなってきたタイミングで転職することを決めました。

ただ自分はExcelでの業務改善くらいしか能力ありませんでしたし、工場を変革するような大きな成果を出したこともなかったため、転職活動でも正直苦労しました・・。

とはいえもう一段レベルの高い、別軸での仕事をしてみたかったので転職活動を続け、ご縁を頂いた生産管理業務改善という業務で転職の機会を頂き、新しいキャリアをスタートさせました。

転職後は、本当に勉強の連続。

Excelマクロを一から勉強したり、TOCを学んだり、使ったことない生産スケジューラーを導入支援したり・・。

Fake it until make it.(できるようになるまで、ふるまえ)

の精神で、できる風を装いながら自分に負荷を掛け、自分なりの専門性を身に付けていきました。

そのおかげで様々なプロジェクトに参加させてもらい、評価もして頂けるようになりました。

36歳という比較的若い年齢で管理職にも上げていただき、新しいチャレンジ、激動の5年間を過ごさせて貰った上司・組織にはとても感謝しています。

1年3ヶ月間の育休取得で感じた恐ろしい「余生」

一方で、周りの期待に最大限答えるのは重要だと思いますが、周りを気にしすぎて、自分のやりたいことをやらないと、きっと後悔すると思っています。

周りに多少嫌われようとも、リスクを取って自分の人生を生きることは重要です。

幸いにも業務改善プロジェクトが一段落したタイミングで第二子が生まれることとなり、思い切って1年超の育児休業を取得することを決めました。

管理職に上げるために取り計らっていただいた上司の皆さんも、育休に対し全員がポジティブな反応だったわけではないのが正直なところです。

ただ、本当に育休を取って良かったと思います。

36歳で取った1年3ヶ月の育休は、家族との思い出作りだけでなく、これからの人生をやり直すきっかけになりました。

特に良かったことの一つは、人生の比較的早い段階で、定年後の世界を体験できたこと。

会社員である以上、どんなに偉くなり偉業を成し遂げたとしても、一定の年齢が来れば会社を定年退職します。

お金に不安も特になく、頭も体もまだまだ働くのに会社を去ったとき、あなたなら何をするでしょうか?

自分は同じ状況に置かれたとき、過去の経験・実績を活かした仕事にチャレンジしたいと思ってきました。

そのために多少準備は進めてきました。

電子書籍を出版したり、メーリングリストを作成したり。

リストは100人弱まで増えていたので、育休中に告知すれば、生産管理コンサル業で仕事取れるかもなぁ~と思っていました。

しかし実際は、メルマガでコンサル募集するだけで受注できるほど甘くなく空振り。

軌道修正が迫られ、定年後も過去の経験・実績を活かした仕事をやりたいと思っているなら、もっと覚悟と努力が必要だと気付かされました。

もちろん育休中なので、育児という仕事はありますし、暫くは忙しかった仕事生活から離れ、幸福度高い時間を過ごしていました。

ただ2ヶ月も経つと飽きてくるんですね。。。

もし育児がなかったら本当にヒマですし、社会から必要とされていないような疎外感さえ感じ、仕事をしていたときの活気のある生活が恋しくなりました。

もしこれが36歳ではなく、65歳の定年後に気付かされたら・・・、過去の経験・実績を活かした仕事を探す気力も無かったかもしれません。

一般に65歳を過ぎると定年退職し、のんびり「余生」を送ると言われますが、自分はのんびりした余生は送りたくないと、36歳にして決心させられる育休でした。

「濱崎さんに相談したい」と言われ続けるために

こうした1年3ヶ月の育休の中で、ミッションステートメントが一つ増えました。

『死ぬ直前まで「濱崎さんに相談したい」と言われ続ける』というものです。

その実現に向け、本業を通し専門性に磨きを掛けつつ、プライベートでは書籍等を通し情報発信を行い、定年後も業務改善で指名いただける存在になりたいと思います。

また、そうした未来を見据え、社外との繋がりは今から大切にしたいと思っています。

最近は幸いにも、書籍やウェブサイトを通して、生産管理の業務改善に関する問い合わせも頂けるようになりました。

自分のアドバイスで業務フローが変わり「業務がラクになった」「納期遅延が解消した」など成果の声を頂けることは、嬉しい限りです。

もしあなたが生産管理に関し悩みを抱えているようでしたら、オンライン無料相談も行っています。

相談したい生産管理の悩みがあれば、問い合わせフォームからお気軽にご相談ください。

長くなりましたが、以上が濱崎一秀のプロフィールでした。

ご相談頂けること、楽しみにしています。